2011年03月01日

縁と喜び

 縁があったのでしょう。
 私は良い縁に恵まれました。

 結婚する事になりました。
 一流の会社に勤める事になりました。
 「良いご縁ですね」と

 交通事故に遭い亡くなられる方。
 お金を融資し、結果遺体で発見されました。
 最近のニュースです、「運が悪かった」と

 さて、良い事は『縁』と表現し、悪い事は『運』と表現します。
 縁と運、つまり縁起と運気とは、良し悪しで別けて使われています。

 「縁が良かった、運が悪かった」です。
 例えると、家や物を買った時に「今回は良い買い物だった、又は悪い物を掴まされた」等と同じ使い分けをします。
 
 さて、縁や運の実態は良いものと悪いものなのですか。
 運が良かったとも使い、又縁が悪かったとも使います。
 
 縁の本来的意味は『繋がり』です。
 日本人は本来農耕民族です。農耕民族は団体で作業を行ないます。
 特に『結い』と言う助け合いの制度は素晴らしいものです。

 団体責任や周囲による個人管理を強める制度5人衆などが行なわれ、家と言う家族管理制度が作られ、個人の権利が消失した時代がありました。
 
 その事から、少しでも家族や地域を守りたい関係で『縁組』と言われる力や能力を測る事を行ないました。
 しかし、本来存在している「縁」は違うのです。
 「縁」も時代と共に変化をします、現在存在している「縁」は個人的なものと考えます。
 「縁繋がり」と申しますが、見えない個人的評価の団体があると考えてください。

 アメリカ合衆国の中での黒人と白人のあり方に似ています。
 総て平等ですが、妙に相容れないふしぎな存在(心的感情)があります。
 縁も同じく別の縁繋がりの団体とは相容れない関係が生じます。

 「私は幸せには成れないのでしょうか」と質問されます。
 仕事も恋人も、妙にうまく行かない、何か途中で引っかかりが生じる。
 『運』が悪いのだろうかと言われる方もいます。
 
 でもこの場合は『縁』と申しましょう。
 何も特別な努力無しで、幸せな結婚をされる方もいらっしゃるでしょう。
 美男子でも無く、美人でもないのに、逆に美男子や美人で婚期を失っている方の方が多いでしょう。
 この状況を『縁が悪い』と申します。

 では「縁」を良くする方法をひとつ挙げるとします。
 それは「縁」を大切にされる事でしょう。
 「大切」にされると喜びます、有り難く感じます。
 そんな喜(よろこ)びの中から、ほんものの慶(よろこ)びが生じてきます。
 そしてその状況を悦(よろこ)ぶのです。

 『縁』とは繋がり、あなたは何と繋がり、何を大切にしていますか。

 次回は運気について  

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2011年02月22日

愛する事

 誰しも知らないものを嫌いになったり、恨んだりする事はないでしょう。
 高校生の頃ある授業の中で「愛する事と憎む事は同じ線の上にある」と聞いた事がありました。
 確かに、愛さないものは憎む事もないでしょう。
 
 最近、「愛する事は止めたよ」と・・・・そんな気がするのです。
 愛する事の意味は、自分中心の事に感じるのです。
 私が愛する、もしくは私が愛した、だから・・・
 私が愛しているのだから、あなたは・・・・を
 そう・・・
 私の意を汲んで、私の望む事を提供しなさい。
 そんな風に聞こえるのです。
 
 勝手に愛したのに、
 頼んでもいないのに、
 一方的な時も、又相思相愛であったとしても・・・
 その後の要望や欲望が問題なのです。

 私が勝手に愛した、だから勝手にひとりで何かをするのでしたら
 まだ自由なのですが、相手を愛と言う言葉で縛ります。
 
 古代ではこの事を「呪」と言いました。
 
 だから、もう少し軽く、広く、相手を縛らない関係で居たいと思うようになりました。
 愛する又は好きになる、そして嫌いになる、で恨む等と言う表現は個人的感情が作る世界です。
 
 それではいつまでも、愛と恨み、好きと嫌いの感情に左右される世界の住人です。
 好きでも嫌いでもなく、愛する事も恨みも無い世界が幸せの世界なのです。
 
 愛する事と好きな事ばかりが続く世界が幸せな世界なのです。
 
 それは自己を強調しない、自己欲を調整された世界なのです。
 そしてそれらは決して誰にでも出来る事ではありません。
 ある程度別けられた、分別された世界なのです。
 
 私は 
 何もできません。
 私は
 何も特別な能力は持ちません。
 なにもしておりません。
 
 でも、この分別された世界にいる事は確かなのです。
 一緒に暮らしていても、同じ世界に居るとは限りません。
 自己欲を調整する者達の集まる世界があるのです。
 
 もちろんこの世界は誰にも知られずに存在しています。
 そして、組織化もされません。
 組織化すると存在が明確化されてしまい直ぐに破壊されるからです。
 日々に再生され、日々消滅を繰り返す、波や風のような形で存在しています。
 
 それも、色々な段階でまた色々な形や色分けで存在しています。
 その集まりを『縁』と言う言葉で呼びます。
 どんなに努力をしても、また力や金やパワーを使っても
 繋げないそんな独特の世界を『縁』と呼びます。
 
 次回は縁の不思議について
  

Posted by 笠沙の三郎 at 12:30Comments(0)TrackBack(0)

2011年02月05日

想いの実態

 人(私を含む)は、信頼をされると実力以上の力を発揮する。
 人は信頼されていると感じると、信頼している人の為に力を惜しまない。
 人は心で想いそして感じる。

 理由は解りました、それでは自分の伴侶や子供に対して、
 私はあなたを信頼していますと言うメッセージを送っていますか。
 
 そう、心の底から「そう想い送る」
 それだけで良いのです。
 
 この事をパワーを送ると言います。


 さて、よく心を落ち着かせて、そしてどうでしょう。
 送れる時もある。
 嫌な時もあるから、その時は無理だな。
 純粋な気持ちでは、中々送れない。
 等の言い訳が出できませんか。

 その通り、その通りなのです。
 人(私を含む)は何処までも、完成できない存在なのです。
 ですから、前回の何もできなかった。・・・・です。

 私は時々「お灸治療に助けられたのですよ」と言います。
 講演でも、又弟子たちにもそして「治療室の中で患者さんにも」
 間違いが無い、真実ですから・・・
 そう申し上げているのです。

 何もできない私、何もできなかった私は。
 ひとつだけ・・・
 そうひとつだけできる事がありました。

 それは人を信じる事、人を疑わない事、そして騙される事に不安が無い事です。
 簡単に言えば「人が好き」だったのです。

 色々なところで人と楽しく飲んでまいりました。
 楽しい酒をたくさん頂いて来ました。
 この件に関しては、古い友人も「その通りだ」と納得するでしょう。

 自分に自信が無い時は「友と酒を飲む」ふしぎと翌日は仕事が忙しい。
 治療に自信が無い時は「患者さんの話を聞きます」
 たくさんたくさん聞きます、来ない患者さんに電話して聞きます。
 ふしぎに又忙しくなるのです。

 この話を聞いて、又想われたでしょう。
 私はできない、絶対できないと・・・
 そして、疑ったでしょう。
 この人はこんな事書いてるけど、きっと相当なツボの勉強をした人だ・・とか
 (弟子達には、そう言う嘘を付いた事はたくさんあります)

 初めに申したとおり、何もしなかった、そして何もできなかった。
 只、人が好きで人の話をよく聞いた。
 そして、楽しいお酒を飲みました。
 それが、今の私の環境を作っています。

 恐らく、私の裏まで見ている人々は「本当じゃが、間違いの無いところ」と

 まとめです。
 人を大切にしようと心の中から想い、楽しく人と付き合います。
 そして、あなたを信頼している事をお話を聞きながら伝えます。
 そう、それだけで治療家の名人ができちゃったのです。

 でも、もうひとつ大切な事があります。
 それは、いつも、どんな時でもと言うことです。

 つまり、どこからメゲナイ パワーを得るのかと言う事です。
 
 この事は次回に  

Posted by 笠沙の三郎 at 23:10Comments(1)TrackBack(0)

2011年02月05日

感じ思う縁にふしぎな人生を頂いた。

 この世には、確かな事は何も無い。
 絶対と言う正義も、確かな理論も存在しない。

 もし、絶対と言う存在があるとしたら、それがこの世を支配し人々を幸せに導く事ができる筈である。
 
 でも、金銭や貴金属や相場そして政治も決して人々を幸せにはしていない。
 逆に不幸にした一面を拭えないのである。

 では、何が確かな物で、人生では何を求め何を行なえば良いのか。
 (その答え探しを60年行なってきた感がある)

 私も人も、その答えを宗教や政治に求めた。
 しかしその答えは、必ずしも正しい結論を導いた訳では無い。
 途中で理想が変質したり、組織である故に仲介者の横暴や我欲で朽ちてしまっている。

 また、金銭や名誉や状況欲に絡まれて、夢や希望を失った者も数多く物語られる。
 この表現は総てが悪く想われ悪く聞こえるがその通りで絶対的真実には出逢っていない。
 
 印刷した紙幣と金やダイヤを比較する者は、金やダイヤ方が絶対だと言う。
 それは相場の信頼が失せた不況による、新たな感覚でしょう。

 ダイヤと言う代物も、これを貴重と想う心の価値感が価値たらしめた。
 では改めて、ダイヤは貴重な存在か。
 確かに一番硬い鉱物である事に変わりは無いが、ガラスが切れるだけでは、豊かさの象徴の価値観には成り得ない。
 絶対量が少ない、希少価値がダイヤの価値を高めたとは言えない。
 では光そして輝いていたから、ダイヤは貴重な価値観を確立できたのか。

 そんな事に思考を廻らせ「ふと」価値感の基はと・・・問うて見た。
 「感じそして想う事」この事が色々な価値感覚を生む。
 そして、間違いも生じる。

 例えば、
 愛を感じそう想った・・・でも現実は違った。
 恋は破れ、自身は傷ついた。

 これは絶対と感じ、儲かると想い投資した。
 投資者の多くはそう想わなかった。
 結果、相場は下がり、大きな損失を蒙った。

 では
 私ですが、私は何もしなかった。
 そう何も出来なかったのです。

 しかしその私が、多くの患者に追い回され、今憩える場所が欲しいと・・・
 贅沢にも逃避場所を探している。

 何も出来なかった私の所に、弟子達が集まり、そして、師匠と呼ばれ、その事が総じて又患者が集まる。
 
 なぜでしょう。
 
 私は何もしていないし、何もできなかったのです。
 弟子達には、あれこれ言って指示している割に、努力など全くしていないのである。

 それでも、多くの人々が治療に押し寄せる。
 縁、縁なのでしょうか。

 次回に続く  

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2010年09月17日

延岡神話

延岡市教育委員会より5月7日に依頼されておりました。
生涯学習の講師のお役の為、延岡市社会教育センター・研修室に
昨日9月16日午前9時40分に伺いました。

この学習会は、延岡市の社会教育の一環として行なわれたもので
約120名の聴講の中で御丁寧な紹介の後、講演に入りました。

今回の講演依頼の題は「延岡の神話 吾田姫」についてでございました。
丁度、9月15日夕刻に新しい「延岡神話」の本の原稿が書きあがりましたので、旧作が丁度120冊残っていましたので、旧作を資料にして神話時代の年譜や神代系図、そして明治以後の研究とその問題点、そして延岡市に残る地名と「古事記、日本書紀」との関係等を楽しく理解して頂きました。

今朝、友人の市議会議長より、電話を頂きました。
「昨日、有留さんは講師をしとったんか」「えっ」
「宮日新聞に出ているよ」「・・・・」

という訳で冒頭の写真が証拠の新聞です。

吾田神話は発刊 2011/1/10発売中
http://www.maruian.com/agatasinwa.htm  

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2010年08月06日

蝉頃

17歳で、親友は居なくなった。
 その年の夏、独りだった。
 皆高卒で就職した、点でばらばらになった。
 
 親友は死んで帰った。
 新盆(にいぼん)と称する、お盆のお祭りが行なわれた。
 その年から・・・・熱い夏空に「ワシワシ」の声が聞こえると
 
 入道雲の向こうの青き空の彼方に行きたい。
 そんな、気持ちになる。
 何の意味も無い
 「言葉のフレーズ」が気持ちをそうさせるのか
 
 今年も広島原爆の式典が行なわれた。
 
 そして、悲しい夏が来る。
 そして室生犀星の蝉頃の詩が蘇る。


 蝉頃 (室生犀星)

 いづことしなく
 しいいとせみの啼きけり
 はや蝉頃(せみごろ)となりしか
 せみの子をとらへむとして
 熱き砂地をふみし子は
 けふ いづこにありや

 なつのあはれに
 いのちみじかく
 みやこの街の遠くより
 空と屋根とのあなたより
 しいいとせみのなきけり
 
    (室生犀星「第二愛の詩集」)    

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2010年07月05日

治るのは当たり前

人は痛みから解放される事は至極当前なの事です。

慢性に移行した痛みほど治り難く、急性の痛みほど治り易い。
 急性痛はちょっとした過ちで痛みが発生しているので、
 ちょっとの修整で治る。


急性痛がなぜ慢性痛に移行するのか、
 それは間違いを起こしているからです。
 火事の時に水をかけると火は消える。しかし油火災に水をかけると酷くなります。
 そんな現象に似ています。
 つまり正しいと思った判断が違っていたのです。

総ての疼痛医療でミスを起こしています。
 なぜ判断ミスをした、簡単なものを難しくした。
 正しい治療を、正しい判断を、すれば痛みは治る。
 治らないのは、間違った治療、間違った判断がなされたからです。

ですから、その正しさを身体に問うのです。
 そして、その正しさを心に問うのです。
 気持ちの良い治療が正しい治療とは限りませんが
 終わった後はっきりと楽になるのです。
 楽にならない時は、間違っている。「但し慢性痛には時間が必要」。


治療中は痛みに少し堪える必要があります。
 終わった後、不思議に心が落ち着くのです。
 軽い満足感が心に広がる時きっと快方に向かいます。
 身体と心を解放する。
 そんな治療が正しい治療方法です。
 
不安になったり、悩みを抱えるような治療は「陰気」を含んでいます。
 「陰気」のある治療師とのご縁を断ち切る事も大切です。
  

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2010年03月29日

心に映らない。心が映らない。

映らない写真、ピンボケした写真は見向きもしない。
カメラのデーターが足りないと映らなくなります。
その時、データーの少ない撮影に切り変えます。
荒っぽいボケた写真なら撮れます。


大切なお話を聞くべき時に、ピンボケした聞き方をする。
しっかりとお話の中身を聞き取る仕事をすべき時に、
自分の力量や技術をホノメカ〔宣伝〕し、大切な話を聞き込めない。

話の中味が受け取れない。
治療者として、向こうの心を我が心に映し込めない。

問診〔聞診〕出来ない、治療技術者が多くなりました。
上手な鍼や手技術やお灸を几帳面にそして丁寧に行なっても、
結果は不良に終わるだけです。

人間とは、人の間と書きます。
人の間は、縁と申します。
縁は言葉により繋ぎ、言葉により切ります。
〔お金や物はプレゼント、お付き合い、縁には成らない〕

恋人の話を聞き心に映し込めない。
子供の話が受け取れない、理解できない。

幼稚な大人が多くなりました。

人間として話〔縁〕を聞く事の出来ない。
他人の理解ができない〔接〕、理解しようとしない〔待〕。
犬畜生〔裸〕で幼稚〔無明〕な世界になりました。




  

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2010年03月16日

無智故 無有恐怖

 又とんでもない事をと言われるだろう。そんな事を思いながら、治療院の案内書に般若心経の一部を拝借致しました。

 意味が全く解からんと云われましたので、以下の説明を付けました。


     ム チ ヤク ム トク ム    ショ トク コ ム ケイ ゲ
   無 智 亦 無 得 無    所 得 故 無 罫 疑 

    ム ケイ ゲ コ ム ウ    ク フ オン リ イチ サイ
   無 罫 疑 故 無 有    恐 怖 遠 離 一 切
 
   テンドウ ム ソウ
   顛 倒 夢 想

 
 【日本語 読み】智もなくまた得もなし 得るということがないから 罫絵疑なし、罫疑無きが故に恐怖もあること無く 一切の顛倒夢想を遠離して【解 説】知ることも得ることもないから 心を妨げる又は遮〔さえぎ〕る、事象がない心にそうした事象がない故に、恐怖が生ずることも無い顛倒〔間違いや勘違い〕した心を遠く離れて

 私見です、人は病に掛かった又は病に侵されたと思う。その時点で病と闘い治そうと努力を始めます。人は本来の健康を己の力で培っているのなら、病と謂う名の異次元を相手に闘い治すことも、その事象を克服して元気になることも可能です。
 
 しかし、健康と謂う状態が戴きもの、授〔さずかり〕りものであるのなら、再び新に授からない以上、元に戻ることは不可能です。

原因が明確であり、原因を完全特定し完全消去できる場合を除いて「覆水〔ふくすい〕盆に返らず」と諺のとおり、失ったものは決して元には還らない。

 「治るだろう、治せるだろう」の絶対性が崩れた時、人はどうしようもない恐怖に出遭います。足元、土台の崩れ失せた精神状態の中、失望感と恐怖が訪れるのです。

訪れた恐怖は間違った考え方や思い方を因にして起きた心の表れです、自己を離れ、心を自分の外、別次元に置いて、命の意味を省みると「そんなんじゃない、そんな生き方をしたかったのでは無い」と覚え見え感じるものがある。

「寿命・ことほぐいのち」。
 
 戴ける命の大きさや素晴らしさが、改めてしみじみと感じられるはずです。すべての人は、間違いを起こす因を持つ塊です。智も無く、得ることも無いと断言したそこ場所から始まる心の世界観がさわやかな気分を与えてくれませんか。

注意 けいげの罫はトの無いものですが表示困難な為に、宛て字にしています。
  

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2010年03月09日

梅の花散らし

日本語の響きの良さを再確認させる季節の言葉です。他に「木の芽崩し」「花芽崩し」等と春早い季節を表す言葉でありますが、肩こりを持つ者にとっては、とても辛い時期です。

梅の花散らし
木の芽崩し
花芽崩し
肩こりの増悪
自律神経異常、
  神経異常興奮、胸々苦悶
胃腸障害、心臓神経症、更年期障害、不安増長
不眠、手足の震え、めまいの多発、耳鳴り
頭痛、腰痛、背部痛
薬の多用と無効果による不安

只の肩こりが前の項目のような順番に悪化するケースも希ではありません。春先の治療でよく出会う症状です。確定した原因はないが、冷え、血液循環不全、リンパ循環不全、植物ホルモン説が主なものです。

いずれも全身に及ぶものでなく、神経系や肩背部の筋肉硬縮、頭部の循環不全から症状の悪化を招いたもので薬のような全身に変化をもたらす
治療では難しい症状です。

 マッサージや鍼灸等のように、局部に対して強いアプローチができる治療が適しているのです。

 冷えには、温かい物が良いのです。温泉や炬燵、懐炉など火を使うものが適します。
しかし、常時暖めるとしたら、温泉ではのぼせる。炬燵では仕事が出来ない。
そういう意味においては、貼り付ける懐炉は便利です。しかし低音火傷に注意が必要です。

 東洋医学には、火を使った治療があります。いわゆるお灸です。
この熱は少し違います、新熱と謂いまして、お灸をした痕が熱を創るのです。
火傷の刺激が毛細血管を創り、その力で冷えを治して参ります。
「ふしぎな火の治療」に詳しく書きました。  

Posted by 笠沙の三郎 at 15:39Comments(0)TrackBack(0)

2010年01月14日

肩こりと頭痛

最近の寒波は、体内の冷えをもたらし、筋肉内の血行やリンパ循環を悪化させています。その為に肩こりや腰痛、時に頸部や腰部の捻挫や痙攣を引き起こし、頭の神経痛や腕の神経痛、又腰から足への神経痛〔坐骨神経痛〕を引き起こす者が多く、激痛に悩む方々の為に治療室が賑わっています。

 その中から、10年ほど前に治療体験した、頭の痛みの治療を思い出しました。
HPには掲載致しましたが認知度が低いのでしょう。同じ問い合わせが多いので転載致します。

 五日前より頸部と右後頭部が痛み、睡眠も取れないほどの痛みで来院。
激しい痛みで不安になり取り急ぎ脳神経外科に診察に行き、CT検査等を行った
特に注すべき原因は見つからない。ストレス性のものでしょうと「痛み止め」を
処方されて帰る。

本人は原因不明の頭痛の為、不安が高じている。処方された鎮痛薬も効果無く、二日間の痛みで一睡もしていないと訴える。

 頚部及び頭部を触診すると環椎と弟三頚椎との右側と後頭部に数箇所激しく痛む個所がある。丁寧に調べてみると大後頭神経の直上である。

頸部一箇所と後頭部に四カ所(風池・玉枕・天柱)に灸点を取り、各五荘づつ、施灸した、終了後痛みが軽減したので明日の予約を受け、合計五日間灸治療の計画を告げて帰した。

                                 
 翌日の事です。「昨日からの痛みは完全に消失した」と喜んで来院した。「急性脳腫瘍と脅かしておくべきだった」と、冗談を吐きながら施灸をすましますと、今日は腰痛を治して欲しいと希望する。

 十数年来の腰痛で中々治らないとの事です。鍼治療も数十回の経験したとの
事です。「秘技、ねじり運動鍼」でどうだとばかりに、腰筋をそらしたり、屈位にして
腰筋肉群のそれぞれを緊張状態において、圧痛個所に2寸鍼を使い、しっかりと
腰筋の硬縮を取り除いて帰した。その後、数人の友人に当院の紹介をしてくれた。来院した友人より結果は善いと聞くが本人の談話は今もって無い。

 最近はお灸治療を行なう者が少なくなった関係で、頸部リンパ誘導マッサージ法で対処している。2週間程は軽治するが再発する者が多い。治療が軽いと治りも軽く、完全治癒を願うならお灸が良いのですがと、薦めている。  

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2009年11月16日

六感の目

人を理解する事、技術を理解する事。
又は自分を理解して頂く事、技術を受け継いで頂く事。

二つのテーマ、人間の関わり合いに付いてです。
職業鍼灸師、お灸の専門治療師である事から、やいと師と名乗っています。

弟子にして下さいとの話が数度あり、十数名の弟子希望者が参りました。
技術の何がしかを持って帰る者、何も持たずに帰る者が居ります。
何がしかの技を身に着けて欲しいと願うのです。

「門前の小僧、習わぬ経を読む」と云う諺がありますが。
「人間国宝の技を持つ夫の、妻は人間国宝になれるか」と云う問題もあります。
近くで見ていると、解かった様な気になるのですが、行うと全く違うのです。

同じ感覚を持つ者同士の、技の伝授は簡単ですが、感覚が異なるのです。
言葉で説明する事が難しいのですが。

入れ物の目が違うと申しましょうか。

どれだけ丁寧な六感で見ているかです。
人は、目・耳・口・皮膚・鼻・そして脳で見ます。
目は色や形も見ますが総合的なセンスも見えます。
耳は音を聞きますが、音階や音色そしてその結果としての心の動きも見えます。
口は味〔苦酸酢甘〕等を見ますが併せ持つ、旨さも見えます。
その様に触感や匂い等に関しても、多くの受け取りがあります。
脳の思う・想うの感覚は数万、数千万にも表現できます。
まるで、般若心経の逆世界です。

本当に軽い、誰にでも理解できる事柄を技として伝えます。
それが伝わらないのです。受け取れないのです。

昔盲目の鍼灸師に治療方法を色々とお伝えしたのです。
「目が見える人だから、我々盲人に本当の事を教える事は無い」と聞きました。
数年して、彼は開業独立を致しました。
その後「あの人は、本当の事を教えていた」と友が暖かい話しを伝えて来ました。
心持ち方で違うのだと、その折に深く感じました。

今又、弟子に何かを伝えたいと望むのです・・

頸部のリンパ誘導マッサージを教えて2ヶ月経つ弟子。
どの程度の技になったかをみましょうと頸の周辺のマッサージを行いました。
どうも皮膚面がやたら痛いだけで頸も肩も軽くなってきません。

原因は治療場所が数ミリ違っているだけなのです。
此処ですよと教えても、患者さんが変わると又解からなくなる。

違っている感覚が理解できないので、手直しの極意を伝えられないのです。

そこで、こんな話をしました。

大切なもの、高価な物は小さい。勿論技の極意は小さい。
鍼のツボも大きく感じるが、よく効果を現すツボは角度、深さとも小さい。
簡単に言うと0.2ミリ四方程度かな。

貴方が技を教えて下さいと餅網を持って来られたのでお餅を乗せました。
お米や大豆小豆等は乗らないでしょう。
ましてやダイヤ粒等を乗せても、落として帰るだけでしょう。

いくら、近くで見ていても、その技は受け取れないのですよ。
六感の目が粗いから、見えないのですと・・・・

細かい六感の目を持っていると威張っているのではありません。
人の心を訪ねる時、先ず自分の心の六感の目を尋ねると良いと思います。  

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2009年11月15日

暴雨の夜の講演会

昨夜、宮崎県北部は、時間雨量80ミリの集中豪雨にみまわれました。




傘は役に立ちません。



道路が見えません。山手側からは滝現象の水が流れ落ちてきます。
道路脇には、進む事を諦めた車が立ち往生して居ます。


こんな天気になるとは予想だにしませんでした。
しかも、北川中学校の家庭学級の講師を引き受けていました。

受講開始前40分に出発、普通なら15分程で到着の距離です。
時速30kmがやっとのスピード。
これでも前が見えない。
10m前の車のテールランプさえ見えない。

ワイパーが意味を成さない。


こんな雨の中に
「聞きに来る者は居ないだろう、引き返すか」と
心の中から、気楽な誘いがかかる。
実に私は「楽に走る性格である」「そうするか」と

「待てよ、私が行かないと周到に準備された担当者は」
「困るだろうな・・・きつい思いもするだろうな」
「もしもよ、一人でも、聴講者が来たら・・・」と

「雨にぐらいに驚いて九州男児が務まるか」と
「無理して、おっかなびっくりを押さえ」
土砂降りの雨と闇の中を覗くように国道10号を北上しました。


開講3分前にやっと到着しました。
先生以下役員の皆様及び関係者全員が雨の中、首を長くして待っていて下さいました。

「良かった、引き返さなくて」と
気楽な決断を振り切った、チッチャな勇気にほっと胸を撫で下ろしました。


勿論、講演の内容は「水の治療」を威張ってさせて頂きました。
ナサケナイ僕でした。ところで水の治療て?何?  

Posted by 笠沙の三郎 at 00:07Comments(0)

2009年10月21日

膝関節痛や変形性膝関節症が治らない、その理由は

貧困の治療Ⅱ

 膝関節炎の宣伝を見るとやたら半月板の主要成分が不足するので膝が変形を起こして悪くなる。しかるに膝の半月板を構成している物質を食べ物として補うと変形性の膝関節炎が治るとしている。

 果たしてこの理論は正しいのでしょうか。半月板の主要成分も軟骨組織全部も同じ成分です。つまり成分摂取不足が膝関節痛の原因であるならば、肩関節や股関節そして足関節など、体全体のありとあらゆる関節が同時に関節痛を起こすはずです。膝関節だけ起こる理由は無いのです。

 両膝関節が同時に発症すべきですが、なぜか膝を悪くした方は、五十肩よりも腰痛より先に、膝関節痛を起こします。しかも片側性に発症し、片足歩行の無理な体加重の為に反体側の関節が炎症を起こし、その後両膝関節が交互に炎症を起こし、段々と悪化していくのが実情です。

 膝関節痛の方は、発症時に体重の増加や膝への無理な加重、転倒や捻挫を起こしている。食事量の少ない痩せた人や高齢者でも無理な運動や仕事をしていない者は膝関節障害が少ないのも事実です。

 もうひとつの疑問は、膝関節の構成成分を摂る事により、軟骨が生成される作用、再生作用を膝が持っているかと言う疑問が残ります。「頭の良い人を殺し、その頭を食べると頭が良くなるか」という質問と同じです。

 膝関節炎の発症原因は膝に掛かる加重が多い為に、後十字靱帯が伸びて、半月板の内側の一部を大腿骨と頸骨で圧した為に半月板が損傷したと考えるべきです。最新の医療用具、関節鏡による検査で詳しく調べると映像的に良く理解できます。また膝関節痛を起こした者は「最初に膝の内側が痛んだ」と言われます。

 この事も後十字靱帯が伸展すると、頸骨が大腿骨に対して内側が後方に引くねじれ現象を起こします。結果半月板の内側部が圧する訳です、構造上考えると当たり前の事ですから、模型で試されると誰にでも理解できると思います。ですから膝痛は内側が痛む事になるのです。

 膝の関節が痛み始めた頃に膝関節を矯正して、後十字靱帯の治療を行う事がより良い治療ですが、一度伸びた後十字靱帯は手術以外の方法で縮ませる事が難しいので苦労するのです。

 炎症止めにステロイド系の鎮痛剤を使ったり、常習的に関節の水腫を抜く行為は治療行為と云うより、一時的な痛み止め行為と考える。又、腰の骨が曲がりバランス狂ってるなどと言って、患者の不安心理を煽り、腰の調整を行う者もいるが、原因は腰には無い。結果、変形性膝関節が治る者がいない事からその理論が正しいかどうかは推論をするまでもないだろう。

以下次回へ続く  

Posted by 笠沙の三郎 at 22:29Comments(0)TrackBack(0)

2009年10月21日

貧困の治療

 医療の現状を考え見るとこんな言葉で表現するしかない。なぜ治療が貧困なのかを共に考える機会になればとあえて、問題を提起して見る事とした。
関係の無い諸先達が居る事は承知の上です、一介の鍼灸師の私見とご理解を賜りたい。

 最近の物売りのPRの行き過ぎが、正しい治療を行う者の妨げになっている。効果の少ないものもPRの仕方で大きく売り上げを伸ばします。すると事実効果の良い、品質の良いものであっても、PR不足により売れなくなります。その為に粗悪なものではないのかとの疑問を持たれ、効果のない治療として消費者に思われます。
粗悪で不必要なものに多額のPR費用をかけて宣伝を行う事で効果的で高額な品物になっている事も周知のとおりである。

 商人の魂の証として「千人に一人や二人でも治った」と効果があるなら、まだしも許されるのに、全く効果のないものもある、これが現状であり事実である。
 販売を行ったり又は業を行う者も、知らないまま(騙されたまま)関わっている例も少なくない、嘆かわしい状況である。最近の金融商品の事例や「俺俺詐欺事件」がこの事をよく物語っている。

 本来、政府かしっかりと規制すべきものです。詐欺行為に関する法律を新たにして、若年者や高齢者をターゲットに行う、詐欺行為を厳罰に処する等の方法もあります。政治家がその責任を放棄している現状況である。
 その事に便乗して広告商売を行っているマスコミにも、責任の一端はある。詐欺行為に近い事は知りつつ便乗し、大切な公共の電波を私的利用して、金稼ぎを行っている諸テレビ局は、仏の皮を被った「邪悪な鬼」とも言える。最近のマスコミを表して「筆(言葉)は剣より強し、されど金に弱し」と申し上げたい。

 実際に何がどうである。例をあげて日記を読まれた方の所見を伺う事にする。

以下次回

  

Posted by 笠沙の三郎 at 22:04Comments(1)TrackBack(0)

2009年10月19日

肩こり原因の頭痛

先日、肩こりに付いて、以下の質問が寄せられました。
この方のみでなく、良く似た症状で、治療を受けられる方が多いので、ブログ公開をして詳しい説明をする事にしました。

質問
肩こりからくる神経痛…
ひどい頭痛、片頭痛なのか悩まされて病院へ行き、緊張をほぐす薬をもらったのに頭痛は治りません。

お灸で頭痛がなくなります。

症状名 医学的には「筋緊張性頭痛」と呼ばれています。

原因

僧帽筋の緊張による大後頭神経圧迫又は小後頭神経血行不良による神経痛

〔説明〕
頭には大後頭神経と小後頭神経があります。大後頭神経は僧帽筋の中を通り後頭部に偏在する神経です。その為僧帽筋が凝る〔硬縮〕すると後頭神経が通り抜ける穴が狭くなり、後頭神経が圧迫されて神経痛を起こします。この場合の痛みは後頭から眼の上の髪際までの範囲になります。

左右同じ構造ですので、片側性に起こると片頭痛になります。

治療 

僧帽筋の緊張が原因です。つまり肩こりが主因の頭痛という事になります。肩こりを治すと頭痛も治ります。
     
〔説明〕
肩こりの原因に色々とありますので、肩こりを効果的に治療する事が大切になります。
    
肩こりの原因
  1.目の疲労
  2.自律神経の緊張又は疲労
  3.神経精神の緊張又は疲労
  4.腕の筋肉の使い過ぎ
  5.冷房病等機械的温度調節不全
  6.糖尿病、ムチウチ症、不眠症、運動不足、肥満、喘息や脊椎の癌等も主要な原因になります。

目の疲労や自律神経の緊張や疲労等は針治療が最も得意とする分野です。経絡治療が良く適します。

精神神経の分野は、躁鬱病等がありますので一度は精神科に相談されると良いでしょう。

肩や腕の筋肉の使い過ぎや運動不足の方は筋肉の針治療が良く効果を現します。

ムチウチ症や冷房病、不眠症、喘息等の身体機能の低下による血行不良にはお灸が良く効きます。

理由は、火傷を作ると身体はその機能を強く発揮して、火傷を治そうとするからです。火傷を治そうとする。火傷治癒力を巧く利用した治療法なので、慢性肝炎や慢性腎炎そして糖尿病の治療などに利用されます。

総括  

頚椎のヘルニアや肺癌の頚椎転移等が混在した場合も幾度かありました。しかし多くの筋緊張性頭痛は軽度な治療で治るものが多く。治っても再発しやすいのが特徴です。

再発を防ぐには、お灸で暫く治療を行い、新たな血管を僧帽筋に作ると再発しません。
  

Posted by 笠沙の三郎 at 00:32Comments(0)TrackBack(0)

2009年10月08日

還暦


 暫くの間、何の変更もしないままにしたHP。
何かを訴える力も無くなったのかも知れない。

 長い時間、何をしていたのかと更新履歴を見る。

 その長い時間に父親とは死に別れた。
周囲の親しい友ともそれぞれに別れた。
新たな出逢いもあった。

 土地の香りや人の肌の感触。
酒や歓談等の中に身を置いた。
そして現実世界の厳しい風を、儘に受けてみた。

 学生時代も小さな企業を起こした頃も。
それらしい生活を送る事ができた。

 友も周囲の人々も確かに成功者として認めた。
でも、何かが違うと感じた。

 何も反抗せず、誰もが好む「虚像」の中に自分を置いて成功した。
その思考は成功へ向かう「糧」になった。
良識者としての評価も受けられた。

 父の性格の中で「私が一番嫌った」
人に流される、人に主ねく行為だった。

文句を言わず、抗せず、人の機嫌を伺っている、卑屈な自分を映る。

 友が「還暦の同窓会をしよう」と誘った。
還り巡る年「このままで良いのか」
  

Posted by 笠沙の三郎 at 01:19Comments(0)

2009年09月27日

笠沙の風

「リンパ誘導マッサージ」専門のマッサージ始めました。 とお話をしました「裸になるのはいやだ」と言われました。

私も少し「いらっと」しましたので「年齢制限があります」と答えてしまいました。

専門のリンパ誘導マッサージと最近流行のオイルマッサージ とを勘違いしているらしい。

着物のは着たままで施術します。 従来の筋肉マッサージでは無く、リンパ循環を整えて、筋肉内のリンパ圧を下げてコリをなくす方法です。

乳癌切除後の浮腫を少なくするために行うリンパドナーゼがあります。美容の小顔つくりに応用 されたオイルマッサージもあります。最新の医療マッサージでは オイルは使用しないのが普通です。

血液は動脈で組織に運ばれて、静脈に戻ります。
全体の90㌫は戻りますが残り10㌫はリンパに流れます。

リンパは①筋肉 ②深呼吸 ③運動 等の直接的な力でリンパ管を抑える事により心臓に戻ります。

医学も選挙と同じく、イメージが大切になりつつあります。
しかし、現代人の学びを薄くイメージを大切にする傾向には不安を覚えます。
  

Posted by 笠沙の三郎 at 23:41Comments(0)TrackBack(0)

2009年09月20日

研修会

 東洋医学の中の三療を志す者として、日頃から考えている事があります。

 それは現代医学と言われる治療法が果たして、どの程度社会に対して貢献しているのかという問題です。

 必ず患者さんの要望に的確に答えられる、技術や学問そして解決できるだけのバックボーンが存在するかという事です。
 何度考えても、そんな完璧な医療技術も学問も存在しません。そして残念ながら個人で収容できる知恵や裁量では、近代医学の情報は多すぎます。まさにアベルの塔になりつつあります。

 しばらくすると、現代医学も先日惨敗した又は滅んだと言うべきだと思いますが、政治の自民党と同じく長い権利持続の中で制度疲弊を起こしつつあります。

 医術が人々の信頼を裏切りつつある今、我々に向けられている社会的役目はなんだろうと・・・自問自答しております。

 今回の研修会に参加をしました、演題は「ホメオパシーについて」、翌日の演題は「緩和ケアとの出逢い・・鍼との出逢い」で佐賀県立盲学校教諭と佐賀大学医学部診療教授のお話でした。

 ホメオパシーは同種療法又は類似療法と日本語に訳される、人体の持つ防御システムを活用する治療法の事です。

 緩和ケアでの事例では、死の直前の力、又は最後の生命力は「精神の喜び」とも聞き取れる内容でした。

 鍼の起こす力もベーターエンドルフィンの分泌による、疼痛緩和作用も上げていました。人間も動物も命の根源は「精神的喜び」によるものが大きいと今回の講演を聞いて感じました。

 そして、身体の持つ不思議な力「生命維持能力」は、精神的な感受性から生まれるのではと理解をしました。

 結果

 日ごろから「他人を妬たむ」「他人の負の部分を見たり、聞いたり、話したりしている」「他人を疑って生活をする」等、人の喜びから外れる言動をするものは、生命力が弱くなる傾向があることが理解できました。

 どんな治療法を取り入れるかより、いかにして「喜びに繋がる、希望を与えるか」が大切だと感じました。最近の健康ブームにより、俄か医者紛いが多くなりました。代替医療と称してとんでもないものを買わせたり、飲ませたりする輩も多く出没します。

 この紛らわしい中から本物を見分ける。勿論範疇に医師や鍼灸師も含めても良いと思います。どう見分ければ良いかです。

 まず脅す者は問題があります、足が長い短いがあるから大変だとか、背骨が曲がっているとか、癌になる、呆けになる等病人に恐怖感を与えて、自分の話の通りに行えば、その事が解決する。

 と言う者は、90パーセント以上の確率で有害な医療従事者です。自分の為にのみ医術を使っている者です。恐怖感を与えずに解決の道を明らかにするのが本来の医術です。

 喜びを与えるのは、不安を作って、その後喜びを与えても「それは只の詐欺行為であるだけだと」と自戒致しました。

 只々、安心感を与えつつ、不安の元凶を取り除く。
 もし取り除き得なかったら、取り除ける処を紹介する。
 それも無い状況ならばせめて何らかの希望を繋ぐ精神ケアを施すべきである。

 長文になりましたが、人の健康に関係する者としての、猛省を求められる楽しい一日でした。
 関係者の皆様に感謝を申し上げます。  

Posted by 笠沙の三郎 at 22:54Comments(0)TrackBack(0)